明楽の入学式・7
暴れ回るおなかを必死になだめながら、明楽は小さくしゃくりあげる。
(でちゃう……おなら、また出ちゃうよぉ……)
無論、明楽が本当に出してしまいたいのはオナラではない。
しかし、トイレにも行けず、漏らしたくもなければ、わずかずつでもガスを出すしかない。そうして少しでも腹腔をなだめるほかの選択肢は残されていなかった。
繰り返される蠕動運動は凝り固まった排泄器官をじわじわと揉みほぐし、長い間の便秘ですっかり忘れ去られていた排泄機能を活性化させている。
(だ、だめ……)
何かにすがるように、明楽は机の端を握り締めた。じっとりと汗をかいた手のひらがぬるぬると不快な感触を示す。たとえどれだけ我慢を続けても、明楽のおなかに詰まった中身が消えてなくなることはないのだ。
下着の下でぽこりと膨らんだ明楽の下腹部では、腸の中で水分を吸われ固まった固形物がぐねぐねと蠢いている。さらにその奥では、まだはっきりとした形を持たない大量の排泄物が腐った泥のように渦巻いていた。
ごきゅぅううう……
明楽が下腹部の重みを再確認したそのとき、激烈なうねりが腹奥からお尻のすぐ真上へと沸き起こる。それは激しい爆発の予兆だ。狭い直腸の中で、蠕動を伴った粘膜が激しくくねり、大きなガスの気泡が立て続けに弾ける。すでに限界まで内容物を詰めこまれた直腸に、怒涛の勢いで圧縮されたガスが流れ込んだ。
「っ―――!?」
ごぽっ、ぐきゅ、ごぷりゅぷっ。
ぷ、ぷっ、ぶぴっ、ぶりゅぶぴぷぷぅっ!!
(ぁ、だめ、ダメっ、だめぇっ!!?)
圧倒的な密度と質量、それをも超える速度で込み上げてきたガスを抑え込むため、明楽は全身を鉄のように硬直させ、圧力の集中する排泄孔を渾身の力で絞り上げる。しかし、少女の意思とは別に蠢く排泄器官はそんな抵抗をやすやすと押し砕き、熱い衝撃が直腸粘膜を突き破って弾ける。限界まで括約筋を引き絞られ、収縮しながらも内圧にひくひくと震える少女の小さな排泄孔。そのわずかな隙間を貫いて、瞬く間に汚らしいガスの塊が外へと排出される。
ぶぶりゅっ、ぶすっ…ぷぅっ!! ぶぶりゅぶぉびぴいぃッ!!
クラスのざわめきを掻き消すかのように、猛烈な放屁音が響き渡る。
その激しい音に誰もが呆気に取られ、一瞬、教室の中に奇妙な沈黙が落ちた。
「ぁ……や、……っ」
喉から飛び出しそうな悲鳴を抑え、明楽はぎゅっと目を閉じた。
「っ……!!」
二つ隣の席で、がたんと机を揺らして女性とが飛び退いた。
同時に、明楽の周囲の席から数名の生徒が次々と立ち上がる。それに呼応するかのように、まるで空気を塗り替えるかのようなすさまじい悪臭があたりに巻き起こった。
ざわめきは瞬く間に蘇り、あっという間に教室全体を包み込んだ。窓際に駆け寄った生徒の一人が窓を全開にし、隣の生徒がそれに倣う。
「うわッ……ちょ、なによコレっ…!?」
「うぷ……ね、ねえ、これって……さっきの」
「ウソぉ……さっきのってひょっとしてウチのクラスだったの? ……止めてよもう……最悪っ……下品すぎっ」
「何食べたらこんなになるワケ? ……ねえ、そっちの窓も開けてっ!!」
これで通算3回目となるガスの放出だった。
しかも回数を経るごとに悪臭の度合いは増している。これは活発な排泄器官の蠕動によるもので、明楽の身体が本人の意思を無視してどんどんと排泄の準備を整えていることの証左であった。
突発事態の毒ガステロに騒然となったクラスの中で、明楽は羞恥と下腹部の苦痛に動くことができず、ただぎゅっと身を縮こまらせる。
(で……でちゃった……っ)
言葉にすれば単純な、けれどそれどころでは済まされない最悪の事態。
これからの一年を共に過ごしてゆくクラスメイト達の前で、汚辱の塊のようなガスを排泄してしまった明楽。これはもはや決定的な事態といっても良かった。
だが――
「っ…………」
顔を背け、眉をよじりながらもクラスメイトの視線は周囲をぐるぐるとさ迷い、明楽を特定するには至らない。まだ見知らぬ顔が多いことや、雑踏の中で席を立ち歩いていた生徒も多く、誰が犯人なのかまでをはっきりと理解した生徒はいなかったのだ。
騒然となるクラスの中で、これまでの友好ムードは一転。猜疑に満ちた視線が教室を飛び回り、毒ガステロの犯人を見つけ出そうとする。
となりのグループでは、疑心暗鬼に陥った生徒のグループがそれぞれに顔を見合わせて、突如訪れた大惨事の犯人が自分ではないことをアピールしあってていた。
「ねえねえ、今の……」
「ち、ちがうって。何言ってんの? もう、あははっ!!」
「私じゃないってば。もう、誰よいまの!?」
「あのさ、ひょっとしてあの子じゃない……?」
「ホント? 信じらんない……朝からずっと……?」
「ウソぉ……」
「え、ちょっと待ってよ、違うわよ!?」
ちらちらと周りを窺いながら囁き交わすクラスメイト達。もちろん表立って認めるわけにも行かず、皆が軽蔑を滲ませながらも、赤く染まった顔を俯けている。犯人を特定できないゆえに明確な非難にはならない澱んだ敵意が、不穏な空気を加速させてゆく。
そんな中――
明楽は、少しでもその非難の声が遠のくように願いながらただじっと沈黙を貫き、必死になって下腹部の衝動と戦っていた。
「くぅぅッ……」
(お願い、おさまってぇ……い、いまはだめ、“今”だけはだめぇ!! ……ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから……ッ!!)
全身全霊をかけて排泄孔を絞り、我慢に総力をそそがねばならない明楽にできることは、そうやって祈ることだけだった。泣きじゃくりそうになるのを必死に堪え、じっとじっと身を固くして、猛烈な便意がわずかでもおとなしくなってくれることを願う。
あれだけのガスを吐き出してなお、明楽の下腹部はぐるぐるとうねっている。少女の膨らんだ腹腔に溜まるガスは活性化を続け、すぐにも今と同じかそれ以上の規模の第2、第3の茶色い悲劇をもたらす予感を色濃く感じさせていた。
(おねがい……っ)
それはもはや無駄な行為にも思えた。
だが、もはやこの哀れな少女には、入学式早々、教室でのオモラシという恐怖の前に祈るくらいのことしか許されていなかったのだ。
そして――
はたしてその祈りが通じたか。
途方も無い精神力で耐え続けた明楽に根負けしたかのように、きりきりと激しく蠢いていた下腹部が、わずかに緩む。ほんのわずか、休まることのない大荒れの狭間に生まれたささやかな休息がやってきたのだ。
ゆっくりと安堵の息を漏らす明楽。手のひらにはじっとりと熱が篭り、背中は嫌な汗をかいてシャツをべっとりと肌に張りつかせている。
(は……っ、は……っ、く……)
どうにかほんの少しだけ産まれた余裕に、肩を震わせ息をする明楽。
緊張していた全身がわずかに弛緩し、じわりと汗を滲ませた。
だがそれも一時のこと。すぐにまたそれを上回る猛烈な大波が押し寄せるだろうことを明楽は悟っていた。
(い……行かなきゃ…トイレ、…お手洗いっ……)
ぎゅっと唇を噛み、明楽は覚悟を決める。
次の発作にはきっと耐えられないであろう事を、明楽は本能的に気付いていた。少女として最悪の結果を迎える前に、一刻も早く排泄を済ませてしまわなければならなかった。
(いまならきっと空いてるし……ちょ、ちょっとくらいなら、外に行っても気づかれないはず……!!)
まだ相手の顔もはっきりと解らない新入生クラスであったとしても、ここまであからさまな状況の中で机にしがみ付いたまま動こうとしない明楽は、あまりにも不自然で怪しすぎる。そのためのカモフラージュにもなるはずだった。
わずかにできた余裕を最大限利用すべく、明楽がおなかを庇いながら慎重に席を立とうとした、その時。
がらりと教室のドアが開いた。
「よーし、席に着け。遅れて済まんな」
姿を見せたのは、クラスの担任である男性教諭。出席簿と大量のプリントを抱えて登場した担任の姿に、クラスメイトたちは慌てて席に戻る。
「えー、静かに、静かに。ちょっと予定が遅れているんでこのままホームルームに入るぞ。すぐ終わるから席につけー」
手慣れた風に教卓に付いた教諭は、明楽のことなどお構いなく、教室内を見回してそう宣言した。
またもトイレに行く機会を奪われて、少女の下腹部はきゅぅと差し込むように鈍く痛む。
「ぁ……っ」
「……ああ、その前に少しだけ休憩にするか。トイレなど行っておきたいものは今のうちに行っておきなさい」
教諭の声に、しかし1−Cのクラスメイトは誰一人立ち上がろうとしなかった。
誰の胸にも、入学式と教室の中、立て続けに3度にも渡って毒ガステロを引き起こした誰かの存在が強くこびり付いている。このタイミングでトイレに立てば『ずっとうんちを我慢していた犯人』にされかねなかった。
多感な中学生の少女達が新生活の最初の日に、そんな後ろ指をさされることに耐えられるわけがない。
「なんだ、誰もいないのか? ……じゃあこのまま続けよう。いいな?」
もう一度窺うように教師が教室の中を見回す。
しかし、一度できてしまった『トイレには行けない雰囲気』の中でそんなことをしても逆効果でしかない。
「よし、じゃあまずプリントを配る。前から回して、足りなければ後ろで調節しておきなさい」
(あ……ああ…っ)
まさに最悪のタイミング。明楽がトイレに辿り着くための最後の機会は、こうして失われてしまっていた。浮かせた腰が、すとんと椅子の上に落ちて、また明楽の下腹をぐきゅぅうるるる……と唸らせる。
今なら、トイレはさっきの時よりもずっとずっと空いているはずだ。明楽のおなかがどうしようもなく壊れてしまっていたとしても、誰もいない個室で、回りを気にせずすっきりする事ができるはずだった。
(かみさま……っ)
長い長い、果てしない我慢の末、やっと訪れた千載一遇のチャンスを前に、明楽は黙ってそれを見過ごすしか許されなかった。
(続く)
(でちゃう……おなら、また出ちゃうよぉ……)
無論、明楽が本当に出してしまいたいのはオナラではない。
しかし、トイレにも行けず、漏らしたくもなければ、わずかずつでもガスを出すしかない。そうして少しでも腹腔をなだめるほかの選択肢は残されていなかった。
繰り返される蠕動運動は凝り固まった排泄器官をじわじわと揉みほぐし、長い間の便秘ですっかり忘れ去られていた排泄機能を活性化させている。
(だ、だめ……)
何かにすがるように、明楽は机の端を握り締めた。じっとりと汗をかいた手のひらがぬるぬると不快な感触を示す。たとえどれだけ我慢を続けても、明楽のおなかに詰まった中身が消えてなくなることはないのだ。
下着の下でぽこりと膨らんだ明楽の下腹部では、腸の中で水分を吸われ固まった固形物がぐねぐねと蠢いている。さらにその奥では、まだはっきりとした形を持たない大量の排泄物が腐った泥のように渦巻いていた。
ごきゅぅううう……
明楽が下腹部の重みを再確認したそのとき、激烈なうねりが腹奥からお尻のすぐ真上へと沸き起こる。それは激しい爆発の予兆だ。狭い直腸の中で、蠕動を伴った粘膜が激しくくねり、大きなガスの気泡が立て続けに弾ける。すでに限界まで内容物を詰めこまれた直腸に、怒涛の勢いで圧縮されたガスが流れ込んだ。
「っ―――!?」
ごぽっ、ぐきゅ、ごぷりゅぷっ。
ぷ、ぷっ、ぶぴっ、ぶりゅぶぴぷぷぅっ!!
(ぁ、だめ、ダメっ、だめぇっ!!?)
圧倒的な密度と質量、それをも超える速度で込み上げてきたガスを抑え込むため、明楽は全身を鉄のように硬直させ、圧力の集中する排泄孔を渾身の力で絞り上げる。しかし、少女の意思とは別に蠢く排泄器官はそんな抵抗をやすやすと押し砕き、熱い衝撃が直腸粘膜を突き破って弾ける。限界まで括約筋を引き絞られ、収縮しながらも内圧にひくひくと震える少女の小さな排泄孔。そのわずかな隙間を貫いて、瞬く間に汚らしいガスの塊が外へと排出される。
ぶぶりゅっ、ぶすっ…ぷぅっ!! ぶぶりゅぶぉびぴいぃッ!!
クラスのざわめきを掻き消すかのように、猛烈な放屁音が響き渡る。
その激しい音に誰もが呆気に取られ、一瞬、教室の中に奇妙な沈黙が落ちた。
「ぁ……や、……っ」
喉から飛び出しそうな悲鳴を抑え、明楽はぎゅっと目を閉じた。
「っ……!!」
二つ隣の席で、がたんと机を揺らして女性とが飛び退いた。
同時に、明楽の周囲の席から数名の生徒が次々と立ち上がる。それに呼応するかのように、まるで空気を塗り替えるかのようなすさまじい悪臭があたりに巻き起こった。
ざわめきは瞬く間に蘇り、あっという間に教室全体を包み込んだ。窓際に駆け寄った生徒の一人が窓を全開にし、隣の生徒がそれに倣う。
「うわッ……ちょ、なによコレっ…!?」
「うぷ……ね、ねえ、これって……さっきの」
「ウソぉ……さっきのってひょっとしてウチのクラスだったの? ……止めてよもう……最悪っ……下品すぎっ」
「何食べたらこんなになるワケ? ……ねえ、そっちの窓も開けてっ!!」
これで通算3回目となるガスの放出だった。
しかも回数を経るごとに悪臭の度合いは増している。これは活発な排泄器官の蠕動によるもので、明楽の身体が本人の意思を無視してどんどんと排泄の準備を整えていることの証左であった。
突発事態の毒ガステロに騒然となったクラスの中で、明楽は羞恥と下腹部の苦痛に動くことができず、ただぎゅっと身を縮こまらせる。
(で……でちゃった……っ)
言葉にすれば単純な、けれどそれどころでは済まされない最悪の事態。
これからの一年を共に過ごしてゆくクラスメイト達の前で、汚辱の塊のようなガスを排泄してしまった明楽。これはもはや決定的な事態といっても良かった。
だが――
「っ…………」
顔を背け、眉をよじりながらもクラスメイトの視線は周囲をぐるぐるとさ迷い、明楽を特定するには至らない。まだ見知らぬ顔が多いことや、雑踏の中で席を立ち歩いていた生徒も多く、誰が犯人なのかまでをはっきりと理解した生徒はいなかったのだ。
騒然となるクラスの中で、これまでの友好ムードは一転。猜疑に満ちた視線が教室を飛び回り、毒ガステロの犯人を見つけ出そうとする。
となりのグループでは、疑心暗鬼に陥った生徒のグループがそれぞれに顔を見合わせて、突如訪れた大惨事の犯人が自分ではないことをアピールしあってていた。
「ねえねえ、今の……」
「ち、ちがうって。何言ってんの? もう、あははっ!!」
「私じゃないってば。もう、誰よいまの!?」
「あのさ、ひょっとしてあの子じゃない……?」
「ホント? 信じらんない……朝からずっと……?」
「ウソぉ……」
「え、ちょっと待ってよ、違うわよ!?」
ちらちらと周りを窺いながら囁き交わすクラスメイト達。もちろん表立って認めるわけにも行かず、皆が軽蔑を滲ませながらも、赤く染まった顔を俯けている。犯人を特定できないゆえに明確な非難にはならない澱んだ敵意が、不穏な空気を加速させてゆく。
そんな中――
明楽は、少しでもその非難の声が遠のくように願いながらただじっと沈黙を貫き、必死になって下腹部の衝動と戦っていた。
「くぅぅッ……」
(お願い、おさまってぇ……い、いまはだめ、“今”だけはだめぇ!! ……ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから……ッ!!)
全身全霊をかけて排泄孔を絞り、我慢に総力をそそがねばならない明楽にできることは、そうやって祈ることだけだった。泣きじゃくりそうになるのを必死に堪え、じっとじっと身を固くして、猛烈な便意がわずかでもおとなしくなってくれることを願う。
あれだけのガスを吐き出してなお、明楽の下腹部はぐるぐるとうねっている。少女の膨らんだ腹腔に溜まるガスは活性化を続け、すぐにも今と同じかそれ以上の規模の第2、第3の茶色い悲劇をもたらす予感を色濃く感じさせていた。
(おねがい……っ)
それはもはや無駄な行為にも思えた。
だが、もはやこの哀れな少女には、入学式早々、教室でのオモラシという恐怖の前に祈るくらいのことしか許されていなかったのだ。
そして――
はたしてその祈りが通じたか。
途方も無い精神力で耐え続けた明楽に根負けしたかのように、きりきりと激しく蠢いていた下腹部が、わずかに緩む。ほんのわずか、休まることのない大荒れの狭間に生まれたささやかな休息がやってきたのだ。
ゆっくりと安堵の息を漏らす明楽。手のひらにはじっとりと熱が篭り、背中は嫌な汗をかいてシャツをべっとりと肌に張りつかせている。
(は……っ、は……っ、く……)
どうにかほんの少しだけ産まれた余裕に、肩を震わせ息をする明楽。
緊張していた全身がわずかに弛緩し、じわりと汗を滲ませた。
だがそれも一時のこと。すぐにまたそれを上回る猛烈な大波が押し寄せるだろうことを明楽は悟っていた。
(い……行かなきゃ…トイレ、…お手洗いっ……)
ぎゅっと唇を噛み、明楽は覚悟を決める。
次の発作にはきっと耐えられないであろう事を、明楽は本能的に気付いていた。少女として最悪の結果を迎える前に、一刻も早く排泄を済ませてしまわなければならなかった。
(いまならきっと空いてるし……ちょ、ちょっとくらいなら、外に行っても気づかれないはず……!!)
まだ相手の顔もはっきりと解らない新入生クラスであったとしても、ここまであからさまな状況の中で机にしがみ付いたまま動こうとしない明楽は、あまりにも不自然で怪しすぎる。そのためのカモフラージュにもなるはずだった。
わずかにできた余裕を最大限利用すべく、明楽がおなかを庇いながら慎重に席を立とうとした、その時。
がらりと教室のドアが開いた。
「よーし、席に着け。遅れて済まんな」
姿を見せたのは、クラスの担任である男性教諭。出席簿と大量のプリントを抱えて登場した担任の姿に、クラスメイトたちは慌てて席に戻る。
「えー、静かに、静かに。ちょっと予定が遅れているんでこのままホームルームに入るぞ。すぐ終わるから席につけー」
手慣れた風に教卓に付いた教諭は、明楽のことなどお構いなく、教室内を見回してそう宣言した。
またもトイレに行く機会を奪われて、少女の下腹部はきゅぅと差し込むように鈍く痛む。
「ぁ……っ」
「……ああ、その前に少しだけ休憩にするか。トイレなど行っておきたいものは今のうちに行っておきなさい」
教諭の声に、しかし1−Cのクラスメイトは誰一人立ち上がろうとしなかった。
誰の胸にも、入学式と教室の中、立て続けに3度にも渡って毒ガステロを引き起こした誰かの存在が強くこびり付いている。このタイミングでトイレに立てば『ずっとうんちを我慢していた犯人』にされかねなかった。
多感な中学生の少女達が新生活の最初の日に、そんな後ろ指をさされることに耐えられるわけがない。
「なんだ、誰もいないのか? ……じゃあこのまま続けよう。いいな?」
もう一度窺うように教師が教室の中を見回す。
しかし、一度できてしまった『トイレには行けない雰囲気』の中でそんなことをしても逆効果でしかない。
「よし、じゃあまずプリントを配る。前から回して、足りなければ後ろで調節しておきなさい」
(あ……ああ…っ)
まさに最悪のタイミング。明楽がトイレに辿り着くための最後の機会は、こうして失われてしまっていた。浮かせた腰が、すとんと椅子の上に落ちて、また明楽の下腹をぐきゅぅうるるる……と唸らせる。
今なら、トイレはさっきの時よりもずっとずっと空いているはずだ。明楽のおなかがどうしようもなく壊れてしまっていたとしても、誰もいない個室で、回りを気にせずすっきりする事ができるはずだった。
(かみさま……っ)
長い長い、果てしない我慢の末、やっと訪れた千載一遇のチャンスを前に、明楽は黙ってそれを見過ごすしか許されなかった。
(続く)